ごあいさつ
初めまして、オーナーのYOSHIKOです。
1959年1月生まれ、大阪ミナミで生まれ育ちました。
大学卒業後のファーストキャリアはインテリアコーディネーターで、フリーランスで15年間、住宅やホテルのコーディネートをしていました。
その後、セカンドキャリアとして日本語教師になり、今も大学で留学生に日本語を教えています。
2019年4階建て自宅をフルリノベーション、人生初の大掛かりな断捨離を決行し、1〜3階を民泊・レンタルスペースとしました。
60歳で念願のサードキャリアとなる民泊「vacation rental SARAKU茶楽来」、レンタルスペース「茶論」をオープン。
歳をとったら、人と接し、つながりを大切にした暮らしがしたいと思ってたのです。
現在、オーナーとしてお客様と交流しておもてなしができる毎日を夫と共に心から楽しんでいます。
コンセプトは、「今までなかったよね、こんな空間」って言われるような場を作ること。
「集まって」「料理して」「食べて」「飲んで」「話して」「学んで」「遊んで」「泊まって」の組み合わせ。
いろんな使い方ができて、いろんな人が集まれる、そんな心地いい、くつろげる空間を楽しんでいただければ、こんな嬉しいことはありません。
お会いできるのを楽しみにしています!
(インバウンド向けENGLISHverにのみ追記)
旅行が好きで、今まで夫といろいろな国へ行きましたが、地元の人に教えてもらったレストランで食べた、それぞれの土地の味が今も忘れられません。
私は大阪のミナミで生まれ、ミナミで育ちました。ですので、大阪のディープな場所や美味しいものをよく知っています!例えば、ひれ酒の作り方――黒門市場で名物のふぐを買って部屋で「てっちり」をするときーーや、たこ焼き、お好み焼き、うどん、おでんなどの、お勧めのお店を気軽に聞いてくださいね。
また、子供のころから親しんでいる茶の湯や着物などの日本の伝統文化を、外国からのお客様にぜひ体験していただけたらと思います。どうぞ大阪を、目いっぱい楽しんでください!
「私が60才で民泊を始めた訳」を綴りました。
長くなりますが、よかったら読んでください。
「終の棲家」でおもてなし
どどどっ。ある日突然、天井から水が!何と、雨漏りだ。大阪市内の築30年、14坪、狭小の鉄骨4階建て。縦に伸ばすしか方法がなかった自宅でのことだ。
ウン百万円かかるという防水工事に、決心がつかないまま4年が過ぎた。「放っておくと、あと20年はもたないよ」昔馴染みの工務店のおじさんに呆れ顔で言われた。
家を売ってマンションに移るか、リノベーションするか。資金の工面に頭を抱えていた税理士の夫の、絞り出すような一言で決まった。
「よし……リノベしよう」
工事するなら、いっそのこと、骨組みだけを残しフル・リノベーションすることにした。還暦を過ぎた夫婦ふたりだ、ホームエレベーターもつけて“終の棲家”にしよう。
さて、これからここでどんな暮らしがしたい?
ふと浮かんだのが、友人の佳世の紹介で二十歳のときに訪ねたアメリカのおばあちゃんのこと。国籍を問わず、留学生や旅行者を自宅に招いてくれると聞いていた。
仲間と訪ねると、「Kayoのお友達ね!」
玄関を開けるや否や、おばあちゃんは大歓迎。お手製のケーキをいただきながら話し込んで、2時間ほど経っただろうか、「出かけるから、ゆっくりしていってね」と言いながらキッチンの扉を開け、「お湯はこれ。食器はここよ。自由に使って」。家中を一通り説明すると、「じゃあ、楽しんでね」と赤のカマロで颯爽と出かけていった。
日本では、自宅をゲストに開放するなんて考えられなかった40年前。二十歳の私は強い衝撃と憧れを抱いた。
あのおばあちゃんのように人とのつながりを大切にした暮らしがしたい。人を迎えられる家にしたい。二十歳の憧れから“終の棲家”計画がスタートした。だが、エレベーターもとなると、それなりの費用がかかる。そうだ、民泊にすれば一石三鳥だ。夢も叶う、収入も見込める、最期まで年相応の仕事をしたいという夫の願いも叶う。
まず住まいは、断捨離して4階部分だけに。1階2階3階は、国籍年齢を問わず、人を迎え入れる。各階に名前をつけ、それぞれに夢を詰め込んだ。
1階「茶論 salon」…お茶を飲みながら集まれるルーム。
2階「膳 zen」…キッチンで一緒に作って食を楽しみ、宿泊できるルーム。
3階「茶cha」…茶室で一服を楽しみ、宿泊できるルーム。
「茶論」では、12人が座れる大きな木のテーブルを囲んでセミナーや教室を。また、ここに集まる人達で「茶歩里サプリ」という会を結成したい。アラ還ともなれば、仕事でもお稽古事でも、その道の“先生”が大勢いる。サプリはサプリメントのことで、教え合って足らないものを補おうという趣旨だ。
「膳」では、日本語教師である私の教え子を招いて、たこ焼きや鍋パーティーを。海外で印象に残る思い出は、自宅に招かれ、家族や友人達と、その国の料理を食べながら過ごした時間だ。私がしてもらったことを教え子に“恩送り”したい。
「茶」では、子供のころから続けてきた茶道を。仕事が忙しくなって長く中断しているが、老後はゆっくりとお茶を楽しみたいと思っていた。湯が沸く微かな音に耳を傾けていると、不思議と気持ちが整ってくる。海外のゲストに、この“沈黙のおもてなし”をしてあげたい。
2019年12月に竣工。
“終の棲家”は完成した。私は今、あのおばあちゃんの年齢になった。いよいよこれからである。